さしもしらじな

アイドル系のデトックス諸々

三回目のデート神話

 

エースを活かすためにはどうするか。

 

そもそも、 “エース” とはなんなのか。

それが分かれば問題ないのだけれど、意外と “誰?” という問いには答えてくれても、“その意味は?” というと、あやふやな気がするし、答えを持っている人は少ないような気がする。というか、“センター” とよくゴッチャになりません?当方はなる。

というわけで、“エース” の定義から整理。もちろん、“一目置く存在” “人目を惹く存在” というのは当たり前なのだけれど、それはアイドルである以上当たり前ではないだろうか。というわけで、より突っ込んで言えば、“新規を呼び込めるくらいに目を惹く存在” と言えば良いのかもしれない。佐藤優樹さんとか、宮本佳林さんとか、山﨑夢羽さんとか、大衆を一目惚れさせることができる、目を留めることができるパフォーマンスを含めてするのが、“エース” という感じがする。

そしてそれは、つばきファクトリーでいうと、浅倉樹々さん、その人に当たる、と思う。いや、これは言葉で説明するだけ野暮なので、前提で進めますが。

一方、“センター” はというと、グループや楽曲のカラーを決めてしまう人だと思う。と、いうことにする。(暴挙)

さて、そもそも論ではあるのだけれど、“新規を呼び込めるくらいに目を惹く存在” である “エース” たるもの、センターに立つ必要性がないということがある。というよりも、センターに立ってしまうと、ただでさえ目立つのにも関わらず、さらにそれ以上の注目が集まり、他のメンバーが霞んでしまう。というわけで、基本的にはセンターを務めないのが常、なのだと思う。

寧ろ、“エース” は、どのような子がセンターに来ようとも、センターがどのような色にグループに染めようとも、自分をその色に染めた上で目立ってしまえる、というのがその “エース” たる所以と言える。

というわけで、つばきファクトリーの特徴である「か弱いけれど、芯が強い」というカラーを、小片さんをセンターとしつつファーストアルバムを発売するまでに作り上げてきたわけなのだけれど、エースである浅倉さんは途中で離脱しつつも、見事にカラーをまとってパフォーマンスをしていたと言える。

 

(脱線。個人的にモーニング娘。のプラチナ期のカラーがパッとしないのって、エースが多い代わりに、カラーを決める “センターが不在” だったことが大きかったのではないかと、ふと思う。もしくは、センターを決めなかったか。たぶん、石川梨華さんがセンターとして一番わかりやすいのだけれど、彼女が抜けたあと、センターに関して迷走を続けたのち、鞘師さんが入った段階で、「先輩 vs 後輩」としてのセンターのカラー構図が出来て、そこから「道重・鞘師」センターの時代という構図になり、鞘師さんの単独センターに変わっていったような感じがする。ちなみに、2016年くらいまではこの雰囲気(勝手に娘。'16を「センター鞘師の消失」と呼んでる)を引っ張っていて、2017年くらいから楽曲ごとに差はあれど、10期、12期がグループ全体の雰囲気を決めるセンターの役割を果たしている感じが勝手にしている。とはいえ、かなり希薄と言っても差し支えないレベルだけど。)

(続・脱線。個人的には、リーダー羽賀朱音、サブリーダー野中美希加賀楓、センター牧野真莉愛と言う構図が、“最新形の” モーニング娘。のカラーとキャラがはっきりしそうな気がしてる。まあ、9、10、11期が卒業する前提として、だけど。ちなみに、エース格は山﨑愛生、ヴィジュアルの森戸知沙希、北川莉央、あざと枠岡村ほまれ、いじられ役(保田圭枠)横山玲奈。なかなかいいバランスだと思うのだけれど。ま、ヲタの妄想と思っていただいて。)

 

(脱線2。今年の Juice=Juice、つばきファクトリーの合同オーディションの裏テーマって、たぶんグループのカラーを改めて決める新たな “センター” を探すことにあったのではないかと思う。小片さんが抜けたつばきファクトリーはもちろんだけれど、宮本佳林さんが抜けた Juice =Juice のセンターが曖昧で、オリジナルの強烈なカラーが抜けたいま、井上怜音さんがたまに目立っていて、一瞬「あれ、こぶしファクトリー?」ってよぎる瞬間すらあるもの。ちなみに、おそらく各々のセンターの格となるのは、福田真琳さんと江端妃咲さんだと思ってる、今のところ。)

 

(余談3。アンジュルムは入れ替わりが激しすぎて、センターが一周回っていないイメージ。個性はバラバラだけど、一体感が持ち味。BEYOOOOONS は各グループ内グループの人数が少ないから、センターを決める必要性がない感じがする。なんつって、センター論。)

 

(余談4。このことを考えると、AKBグループは、人気投票でセンターを決めた結果、エースがセンターになりやすい構図になる一方で、意外とグループのカラーはあんまり変わらないのかなぁという印象。坂系は、そもそもエースがそのままグループのカラーになっているイメージ。なので、グループとして纏まってはいるのだけれど、エースが抜けた瞬間、ガタガタガタっと崩れていきそうなイメージ。難しいね、アイドル運営って。)

 

さて、そんなエースの浅倉さんですが、センターに置くとなると意外と楽曲としては、方向性が難しいんですよ。変な話、なんでもありですもの。

そこで採用されたのが、ファーストアルバム発売までにやっていない方向性の “ロック歌謡” だったのだと思う。せっかくの勝ち戦、思い切った楽曲を出そう、的な。

 

ただ問題は “ロックの定義” 。いや、有名曲じゃなくて、どういう観点で、“ロックっぽいか” って話なのだけれど、これはズバリ、ギターリフが特徴的かどうかの一点だと思ってる。この曲のギターリフカッコいいもん。歌詞の一発目が、“春嵐” から始まるのだけれど、ぴったり来過ぎて驚くもんなぁ。

そしてそこに揉みくちゃにされながら立っているエースの浅倉樹々さんのカッコ良さ。ロックが合うなぁやっぱり。

そもそも論として、ハロプロを作ったつんく♂さんがロック畑な訳じゃないですか。変な話、ハロプロの根底には、ロックがあるんですよ。そこに、アイドル性を乗っけるって言うのが、既にギャップとして存在していて、そのギャップが一番効果的に発揮される容姿を備えているのが、浅倉樹々さん、とも言えるのではないかとすら思う。

よく、正統派アイドルでエース、と言われるけれど、正確には、“ハロプロの” 正統派アイドルでエース、が正しい気がする。

そして、作曲もロック畑の中島卓偉さん。

このアルバムでは、「マサユメ」「三回目のデート神話」「ナインティーンの蜃気楼」「My Darling 〜Do you love me?〜」の四曲を作曲していて、アルバム全体をまとめ上げているのだけれど、この相性の良さは本当に不思議。(よく、歌詞の世界観が先行して、“切ない系” が得意と言われるけれど、意外と楽曲としてはアップテンポ系もハマったりするのが、このグループの面白さ。)

そしてそこに、詩を乗せる児玉雨子さんも、「マサユメ」「三回目のデート神話」「ナインティーンの蜃気楼」に加えて、「抱きしめられてみたい」「光のカーテン」の五曲を担当していたりと、この二人が事実上『2nd STEP』の世界観を作っていると言っても過言ではないのだろうか。

反対に言うと、浅倉樹々というエースを筆頭とした “王道” が存在しているからこそ、ほかのグループでは手が出せない実験的な作品を出すことができるとも言える。

 

それは、最新作の「涙のヒロイン降板劇」にも通じること。やっぱり、このグループの王道にある “か弱いヒロイン像” が前振りがキチンとあるからこそ、それを脱ぎ捨てる世界観がより一層際立つ。

ちなみに、この曲の浅倉樹々さんのソロパート、実は正面から映っていないのだけれど、それでもドッシリとした存在感というか、吸引力は凄かったもんなぁ。

あと、「まだ浅倉樹々が残っている」「浅倉樹々という武器を使わないでここまでできる」という安心感のほうが強い。そして実際、「ガラクタDIAMOND」ではグループのエースとして、ラストのソロを担当していたりするし。やっぱり、彼女が最後のソロを歌うと何故か締まるのよ。

(どうでもいいですが、「ガラクタDIAMOND」のラストのソロパートが豫風さん → 秋山さん → 浅倉さん の順番になっていて、「歴代の最年少順やん!」ってなっていて、一人で盛り上がっていました。)