さしもしらじな

アイドル系のデトックス諸々

#アンジュルム短歌 はじめます。

 

みなさま、ごきげんよう。ハロQのサネカタです。

 

…とりあえず名乗ってみる。

さて、今回ハロQでは「竹内朱莉アドベントカレンダー」をやっているわけなのですが、その番外編…というか一応埋まらなかった時用のスペアとして用意していたのだけれど、お陰様で見通しがある程度立ったということで、アドベントカレンダーとは別に動くこととなりました。遊撃隊?みたいな?(どうでも良いけど、“遊撃隊” という言葉の並び、良いよね。)

半官半民?的な?試み?いや、意味が違うか。

とはいえ、そもそもそんなつもりで始まったわけではないのですよ。#アンジュルム短歌 。

 

夏の手動企画 #竹内朱莉アドベントカレンダー 文章とファンアート募集のお知らせ|ハロQ

#竹内朱莉アドベントカレンダー 竹内朱莉さんの卒業に際してかかれた文章とファンアート集(前編)|ハロQ

(とりあえず、載せとかないと!)

 

出会ってくれてありがとう!!|あさり

【若手俳優必見】アンジュルム竹内朱莉さんに学ぶ「愛され空間のレシピ」|林拓郎

(コチラも、載せとこ!ただいま2日目!)

 

さて、5月1日にコロナでぶっ倒れたあと、人間関係がごっちゃごちゃになり、挙句腰痛は残るわ、なぜか虫歯になるわで踏んだり蹴ったりだったわけですよ、今月。全くどうなってるんだ。

ただそれも二週間経つとだいぶ落ち着いて…というか、無理やり人間関係ぶっちぎって距離を置いてなんとか平静に戻してみたんです。そんな折…先々週の金曜日くらいかしら?ハロQ内で短歌の話題になったんですよ。「学んでみたい!」だったか「作ってみたい!」だったか忘れてしまったんですけど、そのときに浅生先生が「そういえばハロQの中で百人一首に載ってる人がいますね」というパスを頂きまして、それに対しオシャンな僕は「かくとだに…」とだけ返したんですよ、オシャンなので。

で、そのオシャンだけで終われば良かったものの何を思ったのか、「そういえば創作垢の方で短歌も作っているのですが、間違えてこっちの垢で呟いたときにいつもいいねしてくれる人がいいねしてくれて、びっくりしたことがあります」と言っちゃったんですよ。

 

そう、言っちゃった。

 

昔から「思いついたことをすぐ口に出すな」と言われていたのですが、言っちゃったんですよねー…

で、言ったらば「え!短歌作れるんですか?アドベントカレンダーでやりましょう!」と話がトントン拍子で進んでいき(アンジュルムファン怖い)、やる流れになったわけですよ。

…個人的には断るつもりだったんですよ。ただ、「やりたくない」とハッキリ言って関係性を崩したくないじゃないですか?だからこういうときはうまいこと理由をつけて「こういう理由があって大変なので、今回は辞退したいかなぁ〜」という雰囲気が伝われば良いな〜と思ったんですよ。

で、用意した理由が「短歌を作るのは難しい」ということ。正確にいうと、その垢でやってるのは “詠む” であって “作る” ではないという話。少し掘り下げますね。

“詠む” というのは、自分の時々の心情がたまたま五七五七七に “自然とまとまる” ときがあって、それを自然と書き出すというのが僕の中での “詠む” なんです。

反対に “作る” というのは、そもそもテーマがあってその制約のもとキーワードやモチーフを出していってそれを五七五七七に “人為的に組み立てる” 行為であって、それが僕の中での “作る” なんです。で、この “作る” ってのはプロの歌人ではない僕にとってめちゃくちゃ大変な行為なわけです。

そしてもう一つ “作る” に当たって問題としてあるのは、キーワードとモチーフの選定。これが多ければ多いほど作りやすくなるわけなのだけれど、どういう風に選ぶのかという基準を決めるのが非常に難しい。

この “作る” こと自体の問題、そして作るとしてもキーワードやモチーフを何を基準にして選ぶのかという二つの問題があるわけです。で、これを盾にやんわりと断ろうとしたわけ…なのですが。

書いてるうちに「少し待てよ」となるんです。それは先日訪れた竹内朱莉さんの展覧会『煌々舞踊』で飾られていた【メンバーの誕生花】をテーマにした展示コーナーのこと。例えば、“メンバーの名前” “メンバーの誕生日” “メンバーの誕生花” という三つのキーワードがあればある程度的を絞って作れるなぁと。

 

竹内朱莉【煌々舞踊】(文字がリズムを持つとき) - さしもしらじな

(載せとくだけ、載せとこ!)

 

ここでスイッチが入るわけですね。「まあ、作るだけ作ってみて、『なんだこんなもんしか作れないんだったら頼まない方がいいや』と思われた方が僕としても辞退し易いし」なんて打算を持ちつつ、早速思いつきで “和田彩花” “1994/08/01” “朝顔” をキーワードにして一首即興で作ってみたわけです。それが、これ。

 

彩りは 覚めた夢より 鮮やかに

恋する十五は 人生の花

 

…まあ、夢とか恋とか人生とか花とか、素人くさい文言が多いので、「なんだ大したことないじゃん」と思われそうという目論見半分、全体としてはわかり易いので採用されるかもという望み半分のところ、めっちゃ褒められて(笑)自分でもチョロいなぁと思いつつ、前向きに考えようかなぁと思ったわけです。

そしたらば、こういうときに気を逃さない浅生先生。「Hey, Silly “福田花音” “土筆” 」との命が下されたので早速取り掛かり、出来たのがコレ。

 

美しき 旋律にただ 立ち尽くし

女神薙ぐ音に わたし乱れて

 

…まあ、和田さんのものが少し実直すぎたので、その反動で頭でっかちになってるのですがコレも思いのほか反応の感触が良く、じゃやるだけやってみるか…とこのときにはなったわけです。

で、この時たぶん誤解したのだと思うのですが、僕は竹内朱莉さんの分も普通にこの流れで作ろうとしていたのですが、てっきり作らないというか、別に用意すると思われたんでしょうね。「竹内さんのものだとこういうのが良いです!」みたいな案を頂いたんです、たくさん(笑)(アンジュルムファン怖い)

そしてここでまた余計なアイデアが浮かんでしまって、以下のような案を出すんです。「竹内朱莉さんのものを作るのであれば、竹内さんにおけるハロプロ/スマイレージ/アンジュルムの重要な日をピックアップしてその日にまつわる短歌を作ったあと『土佐日記』みたいにフィクションとして再構成する方がファンアートとしては中身が濃くなりそうです」…みたいなアイデアを言ってしまったんです。

 

そしたら、それもやることになってた(笑)

 

いや、短歌作るの大変なんだけどなぁ…と思いつつ、まあでも個人的に作りたいところも実はあって。

先程書いた通り、ホントに今月は良いことが何もなかったわけですよ。自分の意思に関係なく、というか自分の意思とは関係ないところから来たものに感情をメチャクチャにされてきたわけです。で、このどうにもならない自分の状況をどうにかプラスに転換したいんですよ。ただ、何をすれば良いか全くわからない…というか上手い現実逃避の方法を探してたんです。と、考えるとこの短歌作り、ちょうど良くない?となりまして。とりあえず無心に作り続けて…まあ所詮 “下手の横好き” なんですけど、やらないよりかはやった方がいいじゃない?と思って無我夢中に作りまくったわけです…とりあえず34首。意外と頑張ったなぁ。

 

さて、問題はこれをどういう方法で表に出すか…正確にはハロQのグループ内では全部出してるのですが、色々提案した結果、三つ手段で出そうと思います。

 

①毎日 #アンジュルム短歌 としてTwitterに挙げていく。

②『土佐日記』から着想を得た、詞書ありの小説内で、物語に組み込まれた形で登場させる。

③最後に作者本人の創作裏話付きで何を考えて作ったかを綴っていく。

 

で、狙いと言えば狙いなのですが、「短歌というのは文脈によって、見方が変わる」というのが伝わる人には伝われば良いなぁ…というのが出来たら面白いなぁ〜と。ま、所詮素人芸なのでそんなに良いものではないのだけれど。①のような短歌単体のものと、②の詞書あり、そして③の作者の意図した “正しい読み方” で意味の取り方変わる…みたいなそんなことが出来たら、なんか良いじゃん?(笑)あと、登場順も違うのでそこの可笑しみも楽しんでいただけたらなぁ〜と。

まあ、何度も言ってるように、“所詮素人芸” なので出来は良くないとは思うのだけれど、一応魂削って受かってはいるので、それなりに楽しんでもらえたらと思います。

 

というわけでアンジュルムファンのイケイケドンドンに背中を押されつつ、怖いなぁと思いつつ、結果としてアドベントカレンダーとは少し距離を置いてできるので自分の色を少し強めにいれられるからラッキーと思いつつ…とはいうものの、物語の創作、自分ではイケイケなのだけれどホントにまとまるのかが心配。まず、こんな試み現代では聴いたことないし、5月末から6月初めに仕上げるとはハロQのグループでは言ってるのだけれど、大丈夫だろうか…そもそもハロQ内での立ち位置もよく分からなくなってきてるし…「あの人頭大丈夫?」とか本気で思われているのではないだろうか…そもそもこんなにハロQ内の日常を綴ってるのも僕だけだしなぁ…果たしてどこに向かってるんだろう…。